あなたの心は、外見上の状況にかかわらず、喜びに満ちることができます
使徒14:8-28
喜びは心から来るものであり、必ずしも外見上の状況とは関係ありません。
パウロは大きな困難に直面しましたが、正しいことをしていて、世界に大きな変化をもたらしていたので、喜びに満たされていました。
彼は、異邦人世界への最初の意図的な伝道活動を行っていました。 神は、「彼らを用いて信仰の扉を大きく開き、あらゆる国の人々が流れ込んでくるようにした」(27節、MSG)のです。 しかし、外見上は彼に不利な状況でした。
パウロは「神が彼らを通してなさったすべてのこと」(27節)と語っています。 当時のパウロの容姿についてのある記述(2世紀の『パウロとテクラの使徒行伝』)によると、「背の低い人で、頭は薄く、足は曲がっていて、体の状態はよく、眉毛はつながり、鼻はやや鉤状で、恵みに満ちていた。
彼は見た目が悪いだけでなく、身体的な病気を患っていました(ガラテヤ4:13)。 それに加えて、彼の体は、彼が受けたすべての肉体的な迫害によって、打ちのめされ、傷ついていたに違いありません。
パウロの足跡をたどった多くの人々のように、肉体的な苦しみにもかかわらず、彼の心は喜びに満ちており、神は彼を通して働かれたのです。 神はパウロの弱さを用いられたのです。
この心からの喜びは、この箇所で見られる様々な種類の心の一つです:
- 信仰に満ちた心
パウロは主の例に倣い、心を見つめました。 彼は「生まれつき足が不自由で、一度も歩いたことのない人」(8節)を見ました。 パウロは彼を見ながら、彼の心を見て、『彼が癒されるという信仰を持っていることを見た』(9節)のです。
この後、神が「異邦人に信仰の戸を開いた」(27節)ことが書かれています。
- 気まぐれな心
群衆は、人が癒されたのを見て、パウロとバルナバを神々のように扱い始めました。 彼らは「私たちは神ではない」と指摘し、自分たちはただの人間であり、群衆が立ち返るべき「生ける神」の良い知らせを持ってきたのだと言いました(15節)。 しかし、群衆の心は気まぐれだった。 - 喜びに満ちた心
これは、パウロとその仲間たちが経験した多くの「苦難」(22節)の一つに過ぎません。 しかし、パウロは、神が「あなたがたの心を喜びで満たしてくださる」(17節)と語ることができます。
パウロは、リストラ、イコニウム、アンティオキアの弟子たちを「強め」、「励まし」ました(21-22節)。 パウロが彼らを励まし、強くしたのは、クリスチャンの生活が簡単だと言うことではありませんでした。 パウロは、自分の罪は過去のものだが、悩みは先にあると伝えています。 神の国のために契約する人は、たくさんの困難を経験しなければなりません」(22節、MSG)と言っています。
主よ、使徒パウロのような人々や、彼の足跡をたどった多くの人々の感動的な例を示してくださり、本当にありがとうございます。 外見や状況がどのようなものであっても、私の心が喜びで満たされますように。 人や状況を外見で判断するのではなく、あなたのように常に心を見て判断することができますように。